うつ病で働くことができない罪悪感を、克服する方法は無いと思った方がいいです。

 

私はうつ病患者としては幸せな方で、実家に住んでいても、親兄弟に 「まだ働かないの?」「仕事見つかった?」 などと、プレッシャーをかけられてることがほとんどありませんでした。

 

 

長い目で見てくれる家族で、助かったとも思います。

 

 

そんな私でも、働かなければならないプレッシャーを、感じなかったことはありません。

 

 

まあ、世界的に働き者と言われている、日本人の中でも、真面目な人間がよくかかるうつ病にかかっているわけですから、働かない事が苦痛でないわけがないのです。

 

 

うつ病患者はほっとくと、ぜんぜん働かないなどと思っている人もいるようですが、責任感も強いうつ病患者は、他人に迷惑をかけるのも嫌いですから、かなり元気でちゃんと働ける自信がでてこないと、責任をともなう仕事につく気にはなれません。

 

 

まあ、真面目な人は、頑固や完璧主義という表現にも当てはまったりするので、いい加減な事をするのが、我慢できないようなところもあります。

 

 

また、プライドの面を別にしても、お金がなくなったり、周囲の人を心配させたりもしておりますから、うつ病で休職するというのは、ものすごいプレッシャーと罪悪感との、戦いと言ってもいいでしょう。

 

 

この罪悪感を、どうにか緩和することはできないものかと、私も長年考えて来ましたが、どうやら我慢するしかないようにも思います。

 

 

働かなくてもいいと思っている人間は、健康で働かなくても平気でおりますが、人間は働くものだと思っている人間は、たとえ重病でも働かないのは、心苦しいのです。

 

 

この心理的状況、最近思いついたのですが、カツラをかぶっている人に例えると、分かりやすいと思います。

 

 

カツラをかぶっている人は、誰と会ってもバレていないか、気になってしまうと聞きます。

 

 

相手の目線が上の方へ行くと、当然生え際をチェックしていると考えてしまいます。

 

 

正直なところ、カツラをかぶっていない人間からすると、それは気にしすぎで、カツラをかぶっているような年代の人間のヘアスタイルなど、ほとんどの人は注目しておりません。

 

 

気にする人が居るとすれば、自分もカツラを買おうか、思案している人だと考えてもいいでしょう。

 

 

しかし、カツラをかぶっている人に、「誰も見てないんだから、気にしなくていい」 などといくら言っても、彼らの心配が減るわけではありません。

 

 

人間は自分の弱点については、どうしても気になってしまうものだからです。

 

 

そもそも、この自分の弱点が気になるという現象は、「弱い部分はとくに注意して守らなければ」 という、自己防衛本能のなれの果てではないかと、私は考えますが、だとしたら動物として、これを止めることはできません。

 

 

結論は、罪悪感から逃れるすべはない、という事ですね。

 

 

あきらめましょう。

 

 

真面目な性格に生まれてしまった、私が悪いのです。

 

 

今度生まれる時は、もっと不真面目な性格になって、世間に迷惑をかけても平気になれるよう、努力いたしたいと思います。(笑)

 

 

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